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讃岐裕子 - メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977

讃岐裕子 - メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977

『メリー・ゴー・ラウンド (LP) 』は、日本の女性アイドル歌手「讃岐裕子 」が、1977(昭和52)年にワーナー・パイオニアより発売したファースト・フルアルバム。”ハロー・グッバイ””シャインの秋”の連続シングルでぐっと大人っぽくなった讃岐裕子の今をパッケージングした内容。初期シングルの”ある晴れた日に”と”白い花の下で”の両AB面の4曲は未収録で、3rdシングル”ハロー・グッバイ”から”シャインの秋”までのAB面+新曲の構成となっている。

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讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) の聴いた感想・当時の情報

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讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977の詳細


讃岐裕子 – 月曜日にさよなら

タイトル メリー・ゴー・ラウンド
歌手名 讃岐裕子
発売日 1977(昭和52)年
ジャンル ポップス
発売国 日本
レーベル Warner Bros.
フォーマット 12インチアルバム・11曲入りLP

讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977 の収録曲

  1. メリー・ゴー・ラウンド
    作詞:三浦徳子/作曲:梅垣達志/編曲:萩田光雄
  2. つよがり
    作詞:三浦徳子/作曲:梅垣達志/編曲:萩田光雄
  3. ひとりぼっちのあなたに
    作詞:三浦徳子/作曲・編曲:梅垣達志
  4. 冬の言葉
    作詞:三浦徳子/作曲・編曲:萩田光雄
  5. ミッドナイト・レインボー
    作詞:三浦徳子/作曲・編曲:萩田光雄
  6. シャインの秋
    作詞:伊藤アキラ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野康二
  7. ハロー・グッバイ
    作詞:喜多條忠/作曲:小泉まさみ/編曲:萩田光雄
  8. 99粒の涙
    作詞:三浦徳子/作曲:小泉まさみ/編曲:萩田光雄
  9. ルージュの愛
    作詞:伊藤アキラ/作曲:加瀬邦彦/編曲:馬飼野康二
  10. めぐり逢うために
    作詞:小泉まさみ/作曲・編曲:青木望
  11. 月曜日にさよなら
    作詞:三浦徳子/作曲:小泉まさみ/編曲:萩田光雄

↑ リンクをクリックするとYoutubeで音源が聴けます

讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977について

讃岐裕子 – ミッドナイト・レインボー

『メリー・ゴー・ラウンド (LP) 』は、日本の女性歌手「讃岐裕子」が19歳のときに、ワーナー・パイオニアから発売したフルアルバムLP。ラジオ番組ではアシスタント、『ぎんざNOW』では火曜日に桜金造と近田春夫と一緒に「洋楽コーナー」を2年間担当し、CMでは名糖アルファベット・チョコで可愛いい声を、マルコメ味噌では「味噌づくりの味付けに失敗」してキィー!アッジャー!と全然気にしない明るいキャラクターを演じて知名度が上がっていたのもこの頃。

讃岐裕子 - メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977について

1977(昭和52)年に発表した讃岐裕子の『メリー・ゴー・ラウンド (LP) 』はシングル曲とは違い、当時若手でのちに八神順子”みずいろの雨”、松田聖子”青い珊瑚礁”、郷ひろみの”お嫁サンバ”を大ヒットさせる作詞家「三浦徳子」が7曲も手がけている。大御所作曲家・作詞家からの提供ではなく「若い作詞家・作曲家が自分たちだけで作った今のポップス」がひとつのカラーとなっていて、1980年代アイドル・ミュージックへの布石となっている。

讃岐裕子 の伝記【バイオグラフィ】

讃岐裕子は、1958年(昭和33)年1月9日生まれの東京都世田谷区出身(生まれは神戸)。

のちに活躍する畑中葉子・西崎緑とともに10代のころから「平尾昌晃音楽教室」へ通いながら『ぎんざNOW!(TBS系)』の素人勝ち抜き歌合戦へ出場。準決勝ではベッティ&クリス”白い色は恋人の色”、決勝では小坂明子の”あなた”を歌って、見事優勝し渡辺プロダクションに所属することに。

デビュー時は、東京の明星学園高校3年生。身長:160cm 体重50kg(B 83 W 63 H 85)舌の先を花の形にまとめるという、おもしろい特技があった。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が16歳~17歳の時

讃岐裕子 - ある晴れた日に / 校庭 (EP) 1975
讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977

1975(昭和50)年5月25日、讃岐裕子の”ある晴れた日に”が発売。1972(昭和47)年に小柳ルミ子の”瀬戸の花嫁”、1973(昭和48)年に藍美代子”ミカンの実る頃”をヒットさせた作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃のコンビである”ある晴れた日に”は、日本の古き良き風景が浮かぶような叙情派ポップス。

讃岐裕子 - 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975
讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975

同年の11月25日には、セカンド・シングル”白い花の下で”をリリース。少女漫画のような歌詞の内容と、アグネス・チャン風の歌い方に前作とは違和感を感じる。作詞は、”雨の御堂筋(1971)”で大ヒットを飛ばした林春生、作曲は黛ジュンの”夕月(1968)”、森山良子の”禁じられた恋(1969)”で名をはせた三木たかしが担当。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が17歳~18歳の時

渡辺プロダクションの「讃岐裕子」は、歌手活動以外にもCMでは『名糖アルファベット・チョコ』で可愛いい声を、『マルコメ味噌』では「味噌づくりの味付けに失敗」してキィー!アッジャー!と全然気にしない明るいキャラクターを演じていた。

ラジオ番組ではアシスタント、『ぎんざNOW』では火曜日に桜金造と近田春夫と一緒に「洋楽コーナー」を2年間担当し、朝日放送の霊感ヤマ感第六感にも出演していた。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が18歳~19歳の時

讃岐裕子 - ハロー・グッバイ / めぐり逢うために (EP) 1977
讃岐裕子 – ハロー・グッバイ / めぐり逢うために (EP) 1977

前2作がヒットに至らず、渡辺プロダクション所属の「讃岐裕子」は2年のブランクを経て、3月25日に”ハロー・グッバイ”で起死回生をねらう。すでに19歳になっていた彼女が歌う”ハロー・グッバイ”は、のちに柏原芳恵で大ヒットする同名のそれである。アイドル界もニューミュージックの台頭で作風が変わってきているころで、ユーミンが作曲した三木聖子の”まちぶせ”タイプの新しい歌謡曲だったが、売れなかった。

讃岐裕子 - シャインの秋 / ルージュの愛 (EP) 1977
讃岐裕子 – シャインの秋 / ルージュの愛 (EP) 1977

同年、讃岐裕子は伊勢半シャインリップ「キス・ミー」のCMに抜擢された。そのイメージソングとして9月25日に発売された4枚目のシングルが”シャインの秋”。”ハロー・グッバイ”発売から6ヵ月しか経っていないが、ぐっと大人っぽくなった彼女が「もう一度あなたにふり向いてほしい」と口紅(リップ)を変えた自分と、変わらない彼への思いを哀愁を帯びたメロディにのせて歌っている。

讃岐裕子 - メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977
讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977

11月25日には、ファン待望となる讃岐裕子のフルアルバム『メリー・ゴー・ラウンド』がリリースされた。「いつも笑顔を忘れずに歩きつづける女の子。その裕子の魅力を充分にいかしたホットでちょっぴりセンチメンタルなアルバム」というキャッチフレーズとともに3枚目のシングル”ハロー・グッバイ”から4枚目の”シャインの秋”のA面B面4曲を含む、全11曲収録。

当時若手でのちに八神順子”みずいろの雨”、松田聖子”青い珊瑚礁”、郷ひろみの”お嫁サンバ”を大ヒットさせる作詞家「三浦徳子」が7曲も手がけていて、大御所からの曲提供からいったん抜け出して「若者たちのためのポップス」がひとつのカラーとなっていて、1980年代アイドル・ミュージックへの布石となっている。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が20歳~21歳の時

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が18歳~19歳の時
讃岐裕子 – 夕映えの帰り道 / 同じ海の前で (EP) 1979

前作シングルから、またも2年近く経った1979(昭和54)年6月25日に誰が知るわけでもなく、そっと「讃岐ゆう子」名義で発売されたのが”夕映えの帰り道”。”モンロー・ウォーク”で注目されていた南佳孝が作曲、ニューミュージック界ですでに大躍進していた松任谷由実が「呉田軽穂」という変名で歌詞を提供。フォーク歌手からシティ・ポップスへと舵をきった「やまがたすみこ」スタイルのシティ・ポップの良作といえるだろう。B面”同じ海の前で”も、同じく、呉田軽穂(松任谷由実の変名)南佳孝のライティングチームの作品で、スローミディアムのシティポップ。

このあと、讃岐ゆう子として「RKBヤング・リクエスト」(月曜日 21:00~22:00)のDJとしてラジオで活躍したあと芸能界を引退した。最近では、平尾昌晃歌謡教室に通っていたころのつながりとして、畑中葉子のラジオにゲスト出演したり、西崎緑と旧友のを仲をあたためている。