『Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 』は、イタリアの女性歌手「アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) 」が、アリストン・レコードから発売した6枚目のシングルEP。アレッサンドラ・カザッチャ初のカバーである”Mi Sentivo Una Regina”は、ソフトロックの雄『ミレニウム』の”There Is Nothing More To Say”がオリジナルで、その後ルー・クリスティが”Canterbury Road”として1969(昭和44)年に焼き直したもの。
- 0.1 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969の詳細
- 0.2 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969 の収録曲
- 0.3 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969について
- 1 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)の伝記【バイオグラフィ】
- 1.1 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が17歳~18歳の時(デビュー前)
- 1.2 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が17歳~18歳の時(デビュー後)
- 1.3 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が18歳~19歳の時
- 1.4 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が19歳~20歳の時
- 1.5 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が20歳~21歳の時
- 1.6 アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が22歳~44歳の時
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969の詳細
Alessandra Casaccia – Mi Sentivo Una Regina
タイトル | Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole |
---|---|
歌手名 | アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) |
発売日 | 1969(昭和44)年 |
ジャンル | ポップス |
発売国 | イタリア |
レーベル | Ariston Records |
フォーマット | 7インチシングル・2曲入りEP |
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969 の収録曲
- Mi Sentivo Una Regina (Cantebury Road)
訳詞:Maria Luisa Caravati 作詞・作曲:Curt Boettcher, Lee Mallory, Michael Fennelly - Michael E Le Sue Pantofole (Michael And The Slipper Tree)
訳詞:Vito Pallavicini 作詞・作曲:Eddy Grant, Lincoln Gordon
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969について
Alessandra Casaccia – Michael E Le Sue Pantofole
『Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 』は、イタリアの女性歌手「アレッサンドラ・カッザチャ」が18歳~19歳のときに、アリストン・レコードから発売した通算6枚目のシングルEP。全世界的なA&M系ソフトロックブームの影響で、アレッサンドラも初のカバーとなる”Mi Sentivo Una Regina”を発表。カート・ベッチャー作曲のこの曲はルー・クリスティが”Cantabury Road”として1969(昭和44)年発表したもの(オリジナルはミレニウム)。B面の”Michael E Le Sue Pantofole”は、1965年にロンドン北部で結成されたロックグループ『ザ・イコールズ(The Equals』が1969年にヒットを飛ばした”Michael and the Slipper Tree”のイタリア語カバー。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)の伝記【バイオグラフィ】
「アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)」は、1950(昭和25)年12月12日、イタリア共和国のマルケ州アンコーナ(Ancona)県にあるファルコナーラ・マリッティマ(Falconara Marittima)に生まれる。
幼い頃から歌手になりたかったアレッサンドラ・カッザチャは、10代の頃には、すでにナポリ(Naples)でボーカルトレーニングをはじめていた。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が17歳~18歳の時(デビュー前)
アレッサンドラ・カッザチャは17歳か18歳の時に、1968(昭和43)年の『カストロカーロミュージックフェスティバル』というコンテスト式の音楽フェスティバルに参加。このお祭りは、1957年から毎年フォルリ近郊のカストロカーロテルメとテッラデルソーレという町で開催されている「新人歌手」のための登竜門であった。
しかし、この年の優勝は結局、「アレッサンドラ・カッザチャ」ではなく“Quando sei con me e con un ciao”を歌ったロザルバ・アルキレッティ(Rosalba Archilletti)が手にした。
優勝を逃した「アレッサンドラ・カッザチャ」であったが、審査員からはリタ・パヴォーネ(Rita Pavone)のハイトーンとパティ・プラボー(Patty Pravo)の低い音域を混ぜ合わせたようだ!と賞賛され、彼女の力強い声に魅了された、イタリアのレーベル、『アリストン(Ariston)』は、アレッサンドラとレコード契約に成功。
このアリストン・レコードは、この新しいアーティストを強く信じており、彼女のために最高の作曲家たちのチームを作った。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が17歳~18歳の時(デビュー後)
そうして1968(昭和43)年、エンニオ・モリコーネ(イタリアの大作曲家)の影響を受けた、彼女の素晴らしいデビュー曲“Vedo il sole a mezzanotte”が発売された。
B面には同じようにインスパイアされた曲“Quel ragazzo che non sorride mai”を収録。
このシングルはイタリアのヒットチャートの上位を駆け上り、若いアレッサンドラ・カッザチャは、プロの歌手としてのキャリアを順調にスタートした。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Nella Valigia Delle Mie Vacanze / Ragazzo Strano (EP) 1968
彼女の2枚目のシングル“Nella valigia delle mie vacanze”は同じ年に発売され、ミッドテンポのポップスと彼女の印象的なボーカルが見事に融合した作品となっている。
B面の“Ragazzo strano”もまた、同様のスタイルの素晴らしい一曲である。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Un Volo Nella Notte / Ragazzo Ciao (EP) 1968
彼女はその年を“Un volo nella notte”の発売で締めくくる。
これはウンベルト・ビンディ(Umberto Bindi)作曲の素晴らしいポップスで、アレッサンドラ・カッザチャの曲の中で最も人気がある。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が18歳~19歳の時
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Piccola Piccola / Un Volo Nella Notte (EP) 1969
1969(昭和44)年は、トップスターが勢ぞろいする『サンレモ(San Remo)ミュージック・フェスティバル(歌謡祭)』に“Piccola, piccola”で参加したことからスタートし、アレッサンドラ・カッザチャにとって重要な一年になった。
当時は「2人のシンガーがお互いの曲をパフォーマンスし合う」というスタイルが音楽界で流行しており、カルメン・ヴィラーニ(Carmen Villani)がそのもう1人となった。
キャッチーではあったものの、その歌はアレッサンドラ、カルメン共にお互いのシングルの基準に達してはいなかった。しかし審査員たちにはほどよく受け入れられたようで、歌謡祭総合11位という結果になった。
彼女はこの曲をシングルで発売したのだが、以前のA面であった“Un volo nella notte”をB面に収録した。
このレコードはそれまでの中で最も成功し、より大きな成功の道へと彼女を導く。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Bocca Taci / Addeso Siamo Pari (EP) 1969
彼女の知名度を生かそうという最初の試みは、熱狂的な曲“Bocca taci”だった。
この曲の「だまって!」という要求は、彼女の声の情熱的な部分をより示す形となった。マリアッチ(mariachi):メキシコ音楽、を基調とした“Adesso siamo pari”をB面として、その夏発売された。
これに続き、彼女にとって最も素晴らしい時期のひとつが訪れた。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mi Sentivo Una Regina / Michael E Le Sue Pantofole (EP) 1969
ちなみに、彼女の初のカバー曲“Mi sentivo una regina”も発売された。これは伝説的なアメリカの作曲家カート・ベッチャー(Curt Boettcher)とパートナーのリー・マロリー(Lee Mallory)が彼らの輝けるポップスの太陽、ミレニアム(Millennium)のために作った曲であり、また同時に“Canterbury Road”というタイトルでルウ・クリスティ(Lou Christie)によりレコーディングされた未発表の曲でもある。
この曲がアレッサンドラにも提供され、輝かしい結果を得た。
彼女の生まれ持った激しさと、申し分ない作品とが組み合わさり、彼女のキャリアの中でのハイライトとなった。
もう一曲、今度はUKソウル、イコールズ(The Equals)の“Michael and the slipper tree”のカバー“Michael e le sue pantofole”がB面に収録されていて、いい出来ではあったのだが、これらの曲とそれに続いて発売したシングルが、チャートに火をつけることはなかった。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が19歳~20歳の時
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Il Cuore Scoppierà / Per Le Strade Nasce L’Amore (EP) 1970
1970(昭和45)年、新しい10年が幕を開け、“Il cuore scoppierà”が新しいシングルのリードトラックとして選ばれた。しかし、B面に収録された活気のある “Per le strade nasce l’amore”のほうが、より説得力のある歌声だった。
しかし、アレッサンドラ・カッザチャの初期のレコードと比べて、変わりゆく音楽産業に対応するため、この楽曲はより成熟した彼女の魅力を打ち出している。
1970年初頭は、今まで支持されたシンガーソングライターや、数年前までは人気者だったパフォーマーたちが、レコード市場からはじき出されていった激動の時代でもある。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が20歳~21歳の時
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia) – Mangerei Una Mela / Il Cuore Scoppierà (EP) 1971
理由は分からないが、“Il cuore scoppierà”は、カーニバル調の新しいB面曲“Mangerei una mela”とともに1971年に再び発売された。
悲しいことに、これが彼女の最後のリリースとなる。
アレッサンドラ・カッザチャ(Alessandra Casaccia)が22歳~44歳の時
その後、彼女は歌を辞め「絵を描くこと」へ情熱を傾け、彼女自身のための新しい人生をスタートさせた。
人物画と背景画に力を入れ、しばしば全身白い服をまとった天使のような女性を描いた。
アレッサンドラの絵はフランス印象派を思わせるスタイルだった。画家としてのキャリアは成功し、ついにはパリのグラン・パレ(Grand Palais)で個展を開催するまでとなった。
この期間に彼女は結婚し、2人の子供を持つ。
しかし悲しいことに、1995(平成7)年の夏「アレッサンドラ・カッザチャ」に悲劇が襲う。17歳の息子アレクシス(Alexis)と小型の飛行機に乗っている際エンストし、飛行機は彼女の住む町の沖合の海へ墜落したのだった。
彼女と息子、そしてパイロットと同乗していた彼の孫息子がこの事故で亡くなった。
参照元:Ready Steady Girls