アレクサンドラ(Alexandra) – Erstes Morgenrot / Klingt Musik Am Kaukasus (EP) 1969
『Erstes Morgenrot / Klingt Musik Am Kaukasus (EP) 』は、ドイツの女性歌手「アレクサンドラ(Alexandra) 」が、1969(昭和44)年にフィリッ […]
歌手名 | アレクサンドラ(Alexandra) |
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ジャンル | ポップス |
生年月日 | 1942(昭和17)年5月19日 |
歌手活動時期 | 1967年~1969年 |
出身 | ドイツ |
1960年代に活躍したドイツ人女性歌手「アレクサンドラ(Alexandra)」は、当時の他のドイツの歌手たちとはまったく異なるサウンドを提供した。彼女のチャート上での成功は、一見大したことはないようだが、ドイツ音楽産業へ彼女がもたらした影響は、決して評価されすぎることはない。チャートデビューしてからたった1年後の彼女の死により、彼女の人気は永遠となった。
アレクサンドラ(Alexandra)は、1942(昭和17)年5月19日、本名ドリス・トライツ(Doris Treitz)として、かつてドイツの町であったハイデクルッグ(Heydekrug)=現シルテ(Šilutė)リトアニアのクライペダ郡の南の都市で生まれた。
家族が引っ越しをし、アレクサンドラは若き日を北ドイツの町キール(Kiel)とハンブルク(Hamburg)で過ごした。彼女は歌手になることを夢見、10代の頃にピアノを習いはじめ、また自身で作曲もスタートさせた。
大学に入ると「デザイン」を学びながらアルバイトでお金をため、ギターも買い、20歳の時、両親の家へ下宿していたロシア移民のニコライ・ネフェドブ(Nikolai Nefedov)と、はやばやと結婚をする。しかし、2年のうちに離婚し、シングルマザーとして歌手の夢を追うこととなったのだった。
まず初めに、彼女は本当の名を捨て、下の息子の名前アレクサンダー(Alexander)にちなみ、アレクサンドラと名乗った。
1965(昭和40)年からしばらく、アレクサンドラはハンブルクを拠点としたグループ『シティ・プリーチャーズ(The City Preachers)』で活動を始める。
そのすぐ後、アレクサンドラはレコードプロデューサーのフレッド・ウェイリッチ(Fred Weyrich)に気に入られた。フレッドは彼女のメランコリックな声質を好み、レコード市場にアレクサンドラの入り込む隙間があると感じて、すぐに彼女をフィリップス(Philips )レーベルと契約させた。
フレッド・ウェイリッチは彼女の初めてのリリースを、通常の歌手との差別化をとるため、シングルではなくLP(アルバム)として発表することを決めたのだった。
アレクサンドラ(Alexandra) – Premiere Mit Alexandra (LP) 1967
『Premiere mit Alexandra』というタイトルで1967(昭和42)年に発売されたこのデビューアルバムは、“Sag mir was du denkst”とタイトルされたフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)の“Parlami di te”のカバーや “Warum”とタイトルされたクローダ・ロジャーズ(Clodagh Rodgers)の“Every day is just the same”のカバーとオリジナル曲をミックスさせたアルバムだった。
曲の提供者にはミヒャエル・クンツェ(Michael Kunze)、チャーリー・ニーセン(Charly Niessen)、ラルフ・ジーゲル・ジュニア(Ralf Siegel Jnr)といった著名な作曲家たちが勢ぞろいした。
アレクサンドラ自身もまた、このLPのために“Die Andern waren schuld”を自作した。
アレクサンドラ(Alexandra) – Zigeunerjunge / Aus (EP) 1967
1968(昭和43)年、ファーストアルバム『Premiere mit Alexandra』とツアーは、彼女への関心を呼びすぐに、ジプシー少年との報われない恋を歌った“Zigeunerjunge”が彼女のデビューEPとしてこのLPからシングルカットされた。
フォークと東ヨーロッパの魅力の組み合わせという、彼女のスタイルを確立させた。この曲は1968年に発売され、ドイツチャート22位のヒットとなった。
アレクサンドラ(Alexandra) – Sehnsucht / Was Ist Das Ziel? (EP) 1968
彼女の最大の成功は、次のシングル“Sehnsucht”だった。この曲を彼女は激しく嫌っていたが、マネージャーとプロデューサーに歌うよう強要された。少しずつトップ10からは落ちていったものの、1968(昭和43)年夏のドイツチャートに6か月以上も留まるロングランヒットとなる。
アレクサンドラ(Alexandra) – Illusionen / Auf Dem Wege Nach Odessa (EP) 1968
ドラマチックな曲“Illusionen”は彼女にとっての3番目のヒットであり、最も愛さ続ける曲のひとつとなった(B面には“Auf dem Wege nach Odessa”を収録)。
これは彼女が、オーストリアのスター、ウド・ユルゲンス(Udo Jürgens)とともに作った曲で、後にシャーリー・バッシー(Shirley Bassey)によって“If I never sing another song”としてカバーされている。
1年以上に渡り、彼女は自身でたくさん作曲をしており、またユルゲンスやサルヴァトール・アダモ(Salvatore Adamo)といったスターと共同での作曲も行った。
アレクサンドラ(Alexandra) – Alexandra (LP) 1968
シンプルに『Alexandra』とタイトルされた2枚目のLPが、その年の終わりに発売され、売れ行きは好調だった。
この中でハイライトとなったのは、アダモの“Nombe la neige”のカバーである“Grau zieht der Nebel”と彼女自身が作曲した“Mein Freund, der Baum”で、両曲とも彼女の死後、シングルとして発売されている。
アレクサンドラ(Alexandra) – Schwarze Balalaika / Walzer Des Sommers (Valse D’Été) (EP) 1969
今まで順調にみえたアレクサンドラのレコードセールスだったが、1969(昭和44)年の彼女のファーストシングル“Schwarze Balalaika”はまったく売れずに、完全に失敗に終わった。
しかもアレクサンドラは、その年のユーロビジョン・ソング・コンテストのドイツ代表を選ぶ決勝にエントリーすることを熱望していたが、体調を崩し参加できなかった。
彼女が3曲のうちどれを歌うつもりだったかということさえ、知られていない。
ブラジルでのツアーがドイツのテレビスペシャルで放送され、彼女の知名度をさらに上げた。
アレクサンドラ(Alexandra) – Erstes Morgenrot / Klingt Musik Am Kaukasus (EP) 1969
彼女の最後のヒット曲は“Erstes Morgenrot”で、チャート17位となった。しかし1969年6月にこの曲が発売されてから2週間も経たないうちに、彼女は車の事故でこの世から去ってしまった。
アレクサンドラの死は、何年にも渡り事故をめぐって数々の推測がなされてきた。アメリカのスパイ、ピエール・ラファエル(Pierre Lafaire)と付き合っていたために、彼女の死には、東ドイツの秘密警察や国家保安省シュタージ(Stasi)が関わっている、という議論をする人もいる。
そして彼女の死後、たくさんのシングルやベストアルバムが発表された。
表面上、アレクサンドラの1960年代のドイツ音楽シーンに対する貢献は小さく感じるかもしれない。
しかし、彼女の成功により、新しいスターや、既存のスターたちなどによる、似たような曲の波が起こった。彼女の独特のスタイルは、他のどんなものとも異なり、またどんなものと比べても劣ることはない。
参照元:Ready Steady Girls
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