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バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) - Love Makes A Woman (LP) 1968

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) - Love Makes A Woman (LP) 1968

『 Love Makes A Woman』は、アメリカの女性ノーザン・ソウル・シンガー「バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) 」が、1968(昭和43)年に発表したファーストアルバム(LP)。

すでにシングルで発売されていた”I’ve Got You Baby / The Old Matchmaker”と”Your Sweet Loving”を含む全11曲が収録された『Love Makes A Woman』は、カール・デイヴィス(Carl Davis)・ユージン・レコード(Eugene Record)の共同プロデュースの元、ディオンヌワーウィックスタイルのノーザン・ソウルが堪能できる。

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バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) – Love Makes A Woman (LP) 1968 を聴いた感想・当時の情報

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バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) – Love Makes A Woman (LP) 1968 の詳細

タイトル Love Makes A Woman
歌手名 バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)
発売日 1968(昭和43)年
ジャンル ソウル
発売国 アメリカ
レーベル ブランズウィック
フォーマット アルバム(LP)

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) – Love Makes A Woman (LP) の収録曲

  1. What The World Needs Now Is Love
  2. The Look Of Love
  3. The Old Matchmaker
  4. Come And See Me Baby
  5. I’ve Got You Baby
  6. Love Makes A Woman
  7. Please Sunrise, Please
  8. Your Sweet Loving
  9. Yes I See The Love (I Missed)
  10. To Sir, With Love
  11. Be By My Side

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) – Love Makes A Woman を聞く

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin) – Love Makes A Woman (LP) 1968 について

バーバラ・アクリンが、1968(昭和43)年に発売したアルバム『Love Makes A Woman』は、彼女のファースト・アルバムでもあり、ソウルの歴史からみてもとても興味深い作品となっている。

ブランズウィック・レコードのサウンド

1960年代の黒人音楽といえば、モータウンに代表される洗練されたポップスに近いシカゴ中心のノーザン・ソウルと、ジェームス・ブラウンに代表される南部のファンキーで露骨なサザン・ソウルのどちらかに分けられがちだが、

このバーバラ・アクリンのデビューアルバムが吹き込まれた1960年代半ばのブランズウィック・レコードの作品群は、ノーザン・ソウルではあるもののモータウンともどこか違うシンプルでいて、明るいホーンとリラックスしたリズムが独特な世界観を持っている。

その核となっているのが、カール・デイヴィスというプロデューサーでブランズウィック・レコードで仕事をする前は、Okehレーベルでビリー・バトラー(元インプレッションズ)、メジャー・ランス、ウォルター・ジャクソン、移籍前のジーン・チャンドラー、アーティスティックスと関わり、ヒットを連発。

そして、この楽曲にはカーティス・メイフィールドも深くかかわっており、のちのブランズウィック・サウンドはカーティス流シカゴ・ソウルと、カール・デイヴィスのプロデュースにより化学変化しておこったといっても、過言ではない。

カーティス・メイフィールドの作風は、サビを何度もリフレインするスタイルだがブランズウィックではそれを歌ではなくホーンや刻みよいリズムで、繰り返し、その演奏に漂うようにボーカルが乗る。それが顕著になってくるのはこのバーバラのアルバム以降になるのだが、このファーストアルバム『Love Makes A Woman』でもすでに、その片鱗は見え隠れしていておもしろい。

バーバラ・アクリンの歌唱法

まず、『Love Makes A Woman』の作風的にはバーバラ・アクリンの意思もあってか、”ウォーク・オン・バイ”で大成功をおさめたディオンヌ・ワーウィックスタイルの洗練されたファルセットの歌唱スタイルが採用されている。

この周辺の楽曲は、無回答(特に何でもよい)バート・バカラックとハル・デヴィッドの手によるもので、バーバラの1st『Love Makes A Woman』でも、①”What the World Needs Now Is Love”と②”The Look of love”の2作品を取り上げている。

③の”The Old Matchmaker”は、オリジナルでバーバラのファルセットが心地よい洗練されたシカゴ・ソウルだが、落ち着いた感じはなくバックのリズムセクションはこぎみよくベースは動きまくる。

続く④”Come And See Me Baby”は、ユージン・レコードのペンによるもので、ゴージャスなバーバラのメロディにバック演奏がファンクまではいかないがどっしりしたグルーヴィーで骨太なサウンドがサポートしている。

⑤”I’ve Got You Baby”は、ソニー・アンド・シェールの1965年に大ヒットした曲とは同名異曲で、③と同じくグルーヴィーなドラムとベースにオースケストレーションがからみあう佳曲。

⑥”Love Makes A Woman”は、アルバムタイトルソングで、レコードではA面の最後に収録。シングルでもR&Bチャートの15位を記録し幸先のよいスタートを切った。

⑦”Please Sunrise, Please”は、レコードでB面初めの曲で、バーバラ・アクリン自らの作詞・作曲で、1979年にジーン・チャンドラー、そしてレゲエのオーガスタス・パブロもカバーしている。娘のサモッタ・アクリンは「この曲は、自分の母が気に入っていた曲の一つです」と語っている。

⑧”Your Sweet Loving”は、インプレッションズのカーティス・メイフィールドが弾くギターのようなイントロ風が、心に響く美しい曲。

⑨”Yes I See The Love (I Missed)”は、ユージン・レコードの作品で、1970年代の彼のシャイ・ライツが大ヒットを飛ばす前兆のような甘いフィリー・ソウルの原型のような佳曲。

⑩”To Sir, with Love”は、映画『いつも心に太陽を』の主題歌としてヒットした、女性歌手ルルのカバー。ソングライターチームDon Black / Mark Londonの手によるもの。

⑪”Be By My Side”は、ユージン・レコードとバーバラ・アクリンが共同制作したアルバムラストを飾る曲で、ベースがうねりサックスがはねるダンサブルなナンバーで、どこか、アレサ・フランクリンの”リスペクト”や、フォンテラ・バスの”レスキュー・ミー”を彷彿とさせる。

このように、バーバラアクリンの1stアルバムは、イギリスで黒人歌手顔負けで歌う女性ルル、ダスティ・スプリングフィールド、ジャッキー・デシャノンの曲を、また再び、バーバラが歌うことで、さらに洗練されたソウルに仕上がっているのが面白い。

そして、彼女の作詞作曲の能力と、それに呼応するかのようにこれから1970年代まで花開いていくカール・デイヴィスとユージン・レコード率いる「ブランズウィック・レコードサウンド」がキラキラしていて、永遠のシカゴソウルと呼べる作品である。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)の伝記【バイオグラフィ】

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)は、1943(昭和18)年2月28日(金)米国カルフォルニア州オークランドにて、ハーマン(Herman)とヘイゼル・アクリン(Hazel Acklin)の一人娘として、生を受ける。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が5歳の時

1948(昭和23)年、バーバラ・アクリンが5歳の時、家族は米国イリノイ州シカゴに移り住んだ。

バーバラは幼少期から、教会の聖歌隊の一員として歌を励んだ。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が10代の頃

バーバラ・アクリンは、ダンバー専門学校に通いながらナイトクラブで歌いはじめた。

彼女は卒業後いとこのモンク・ヒギンズ(Monk Higgins)の紹介で地元のセント・ローレンスレコードで秘書として働きはじめ、モンクプロデュースのもと「バーバラ・アレン(Barbara Allen)」名義でシングルも録音している。

続いて、モンク・ヒギンズは彼女をチェス・レコードのレコーディングセッションに誘い、エタ・ジェイムズとフォンテラ・バスのバッキング・ボーカル(バックグラウンド・シンガー)として起用しました。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が22歳~23歳の時

1966(昭和41)年、バーバラ・アクリンはシカゴのブランズウィック・レコードでプロデューサーであるカール・デイヴィス(Carl Davis)の受付係として働きはじめる。

このころ、大御所シンガーであったジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson)と出会い、彼女がデイヴィッド・スコット(元ザ・ファイヴ・トーンズ)や)と共作した曲”Whispers”を聞かせると、ジャッキーはそれを大変気に入ってプロデューサーであるカール・デイヴィスに手渡した。

Jackie Wilson”Whispers (Gettin’ Louder)”

同年8月8日に録音、9月にはバーバラ・アクリン作の”Whispers (Gettin’ Louder)”は、シングルとしてリリースされ、R&Bチャートの6位というスマッシュヒットを記録する。

このヒットを受けアルバム『Whispers』が制作されたことで、バーバラ・アクリンは作曲家の道が開け続くシングル”(Your Love Keeps Lifting Me)Higher and Higher”が、R&Bチャートの1位に躍り出たことで、彼女は一躍時の人となり、ジャッキーはブランズウィックレコードと彼女の歌手契約を薦めた。

Jackie Wilson ”(Your Love Keeps Lifting Me) Higher And Higher”

“(Your Love Keeps Lifting Me)Higher and Higher”は、現在でもノーザン・ソウルの名曲として、アメリカでも人気の楽曲。

詳細は不明だが、まだブランズウィック・レコードと歌手契約していなかった彼女は、この年スペシャルエージェント・レコードからバーバラ・アレン名義で”I’m Not Mad Anymore”/” Nobody Cares”のシングルを発売しているが、いとこのモンク・ヒギンズが、ジャッキーのヒットを受け、急遽過去の作品をリリースした可能性がある。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が23歳~24歳の時

1967(昭和42)年、バーバラ・アクリンはブランズウィックで初めてとなる”Fool, Fool, Fool (Look In The Mirror) / Your Sweet Loving”と”I’ve Got You Baby / The Old Matchmaker”の2枚のシングルを発売したが、どちらともチャートインはしなかった。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が24歳~25歳の時

続く1968(昭和43)年、すでに、ノーザン・ソウル界の大御所であった男性歌手「ジーン・チャンドラー(Gene Chandler)」とのデュエット曲”Show Me the Way to Go”がリリースされ、R&Bチャートの30位を記録。

Gene Chandler And Barbara Acklin “Show Me The Way To Go”

この曲は、ザ・シャイライツのユージン・レコードとプロデューサーであるカール・デイヴィスとバーバラ・アクリンとの共作である。

続く、彼女自身のソロシングルである”Love Makes A Woman”がリリースされ、初めてR&Bチャート15位を記録し、BMI(ブロードキャスト・ミュージック・インク)賞も受賞した。

その年は、ジーン・チャンドラーとのデュエット”From the Teacher to the Preacher”も、R&Bチャートの16位を記録、夏には11曲入りのアルバム『Love Makes A Woman』もリリースされた。(R&Bチャート48位)

Love Makes A Woman

Barbara Acklin 『Love Makes A Woman』spotifybutton

アルバム『ラブ・メイクス・ア・ウーマン』は、当時日本では発売されなかったが、モータウンと双璧をなしたブランズウィック・レコードならではの洗練されたノーザン・ソウルが堪能できる1枚となっている。

カール・デイヴィスプロデュースのこのバーバラのデビューアルバムには、カーティス・メイフィールドのインプレッションズ風のシカゴ・ソウル”Your Sweet Loving”や、ダスティ・スプリングフィールドが歌った”The Look Of Love”、ジャッキー・デシャノンの”What The World Needs Now Is Love”の2曲のバート・バカラック作品が含まれ、バーバラ・アクリンの高音のゴージャスな歌声にマッチしている。

この勢いで、バーバラはユージン・レコードとソニー・サンダース作の”Am I The Same Girl”を録音し、大ヒットのきざしをうかがっていたがプロデューサーのカール・デイヴィスは彼女のリリースよりも先に、ボーカル部分をピアノソロに置き換えたインストゥルメンタル(歌なし)としてYoung-HoltUnlimited名義で”Soul Strut”というタイトルで11月にリリースしてしまう。

カールの読みは当たり、この楽曲はアメリカで3位・カナダで1位の大ヒットを記録し200万枚以上を売り上げ、ゴールドレコードに認定された。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が25歳~26歳の時

翌年1969(昭和44)年、失意のなかバーバラバージョンは2月に発売されたが、すでにヒットした楽曲の歌入りということでR&Bチャートの33位止まりとなった。

Barbara Acklin 『Seven Days Of Night』

Barbara Acklin 『Seven Days Of Night』spotifybutton

この年の彼女は、”Am I The Same Girl”以外に、シングル”A Raggedy Ride / Seven Days Of Night”(チャートインせず)とジーン・チャンドラーとのデュエット” Little Green Apples / Will I Find Love “(チャートインせず)、そしてセカンド・アルバム『Seven Days Of Night』(チャートインせず)を発売。下半期には再び、次のアルバムからの先行シングル” After You / More Ways Than One “(R&Bチャート30位)をリリースし、精力的に活動した。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が26歳~27歳の時

Barbara Acklin 『Someone Else's Arms』

Barbara Acklin 『Someone Else’s Arms』spotifybutton

1970(昭和45)年、バーバラはシングル”Someone Else’s Arms / Is It Me”(チャートインせず)をリリース後、同タイトルの3rdアルバム『Someone Else’s Arms』(チャートインせず)を発売、このアルバムには、Blood, Sweat & Tearsのカバーをファンクにアレンジした”The Spinning Wheel”など全11曲が聴ける。

この年のバーバラ・アクリンは今までの歌手活動のなかでもかなり「活発的に動いた1年」でアルバム発売後にシングル”I Did It / I´m Living With A Memory”(R&Bチャート28位)をリリース後、再び4thアルバム『I Did It』(チャートインせず)を発売している。

Barbara Acklin 『I Did It』

Barbara Acklin 『I Did It』spotifybutton

前作の『Someone Else’s Arms』と今作『I Did It』は、同じ1970年に発売された連作だが、『I Did It』は新曲と今までのアルバムからの楽曲を再収録した変則的なスタイルをとっている。

サウンドは、1960年代のノーザン・ソウルからファンクの要素も取り入れた”I´m Living With A Memory”や”I Can’t Do My Thing”が1970年代の幕開けを感じる。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が27歳~28歳の時

Barbara Acklin “Lady Lady Lady”

1971(昭和46)年は、バーバラ・アクリンはアルバム(LP)は発売せず、前年のアルバムより”I Can’t Do My Thing / Make The Man Love You”(チャートインせず)をシングルカットし、その後新曲”Lady, Lady, Lady / Stop Look And Listen”(R&Bチャート44位)を発売したが、大きなヒットには至らなかった。

本業の自分の歌手活動とは別に、楽曲提供は好評で彼女はユージン・レコードとのタッグによりシャイライツ(Chi-Lites)の”Have You Seen Her”を書き、R&Bチャートの1位を記録している。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が28歳~29歳の時

 Barbara Acklin – I Call It Trouble

Barbara Acklin 『I Call It Trouble』spotifybutton

1972(昭和47)年、”I Call It Trouble / Love, You Are Mine Today”(R&Bチャート49位)のシングルカットのあと、アルバム『I Call It Trouble』(チャートインせず)を発売。

全体的には1960年代のノーザン・ソウルは影をひそめ、ファンク色のあるフィリー・ソウル、スウィート・ソウルの楽曲が並ぶ。バーバラ・アクリン個人というよりは、ブランズウィックレコードの他の歌手のサウンドとほぼ同一で、当時ヒットを飛ばしていた同レコード所属の「シャイライツ」にならった見方が強い。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が29歳~30歳の時

Barbara Acklin “I’ll Bake Me A Man”

1973(昭和48)年の初めは、アルバムからジャクソン・ファイヴ風の明るい”I’ll Bake Me A Man”(チャートインせず)がシングルカットされたがヒットはせず。

この曲を最後に、バーバラ・アクリンはキャピトルレコードへ移籍することとなる。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が30歳~31歳の時

Barbara Acklin “Raindrops”

1974(昭和49)年は、キャピトルレコードへ移籍したのち”Raindrops”を発売。

この楽曲は、ブランズウィック・レコードでプロデューサーだったウィリー・ヘンダーソン(Willie Henderson)との共作で、R&Bチャートの14位という、バーバラ・アクリンの6年間の歌手活動で最大のヒットとなった。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)が31歳~32歳の時

Barbara Acklin 『A Place In The Sun』

Barbara Acklin 『A Place In The Sun』

1975(昭和50)年は、『A Place In The Sun』が発売され、これがバーバラ・アクリンの最後のアルバム(LP)となった。

ブランズウィックのサウンドに慣れている人からすると、少し拍子抜けだが、バーバラがやりたかった1970年代ソウルが網羅されており、ディスコ・サウンドが一世風靡していた時代に、”Give Me Some Of Your Sweet Love”など、洗練された1970年代版ノーザン・ソウル(シカゴ・ソウル)が聴けるのはうれしい。

このアルバムからは、”Fire Love / Give Me Some Of Your Sweet Love”(R&Bチャート73位)”Special Loving / You Give Him Everything, But I Give Him Love”(R&Bチャート98位)が、シングルカットされているが、R&Bチャートの50位圏内にも届かなかった。

バーバラ・アクリン(Barbara Acklin)のその後

ヒットが出せなかった、バーバラ・アクリンは1975年キャピトルレコードを解雇され、ヒットを飛ばしていたチャイライツやそのほかの歌手のバックコーラスの歌手としてツアーに同行して生計をたてた。

Barbara Acklin “You’re The One”

バーバラ・アクリン歌手録音は、1990年インディーレーベルである「クレセント」からの”You’re The One”が最後となる。

その後、バーバラはニューアルバムを準備していると話していたが、風邪をこじらせて1998年11月27日に肺炎でこの世を去った。

享年55歳。

Samotta Acklin

※バーバラ・アクリンの愛娘  サモッタ・アクリン

バーバラ・アクリンの魂は、息子のマーカス・ホワイト(Marcus White)と、歌手として活動しているサモッタ・アクリン(Samotta Acklin)に引き継がれている。

※出典元:wikipedia、criticsrant、soulwalking.co.uk