アドリアンヘラ(Adriángela) – Camino Del Amor / Te Mentirán También (EP) 1971
『Camino Del Amor / Te Mentirán También (EP) 』は、スペインの女性歌手「アドリアンヘラ(Adriángela)」が1971(昭和46)年、マイナーレコード会社 […]
歌手名 | アドリアンヘラ(Adriángela) |
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ジャンル | ポップス |
生年月日 | 1942(昭和17)年 |
歌手活動時期 | 1961年~1971年 |
出身 | スペイン |
「アドリアンヘラ(Adriángela)」は、1960年代において欧米のガールズポップのスター、Dionne Worwick・Dusty Springfield・Sandie Shawをスペイン語でカバーした数少ない女性歌手。イエイエガールとしての自分、旧派の歌姫としての自分というふたつの間で揺れていることに気付く。彼女は同時代に活躍する女性たちに比べると、女性としての魅力や成功に欠けてはいたが、1965(昭和40)年から1968(昭和43)年にかけて、印象的な12枚のシングルと4枚のEPを発売した。
「アドリアンヘラ(Adriángela)」は1942(昭和17)年、スペインの都市ヴァレンシア(Valencia)のマリア・ホセ・ギーエン・トレス( María José Guillén Torres)生まれ。
音楽好きの少女で、10代の頃は市の音楽学校へピアノを習いに通っていた。
1961(昭和36)年、彼女はアドリアンヘラという名前でマドリッド(Madrid)で歌のコンテストに参加した。彼女の歌はイベロフォン(Iberofón)レーベルのボスの目に止まり、契約のオファーをされた。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Concierto de amor (EP) 1961
“Concierto de amor”はこのレーベルから出されたたった一枚の彼女のEPのリードトラックである。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Canta Los Exitos Del 4 Festival Español De La Cancion Benidorm (EP) 1962
一年後、彼女は同時にEMIへも短い期間所属していた。これは“Llevan”リリースのためで、この曲は1962(昭和37)年のベニドルム(Benidorm)のソングフェスティバルで彼女がパフォーマンスしたものだ。
Zafiroレコード会社へ所属した時、失敗からのスタートとはなってしまったが、彼女は真に自信を持てるようになった。
1965(昭和40)年のユーロビジョン・ソング・コンテストで“Cantares”でスペイン代表になろうという試みは、失敗に終わる。
彼女はコンチータ・バティスタ(Conchita Bautista)にスペイン代表戦の決勝で敗れ、4位に終わった。
しかし、イエイエガールズはスペインの若者たちにとって、UKやUSのヒットソングを凌ぐほどの大人気だったし、Zafiroレコード会社は金儲けに目がなかった。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Siempre Hay Algo Que Me Recuerda A Ti / Las Lagrimas De Un Dia (EP) 1965
アドリアンヘラは“Siempre hay algo que me recuerda a ti”収録のためスタジオに送られ、このレーベルでの彼女のデビューシングルとして発売。
この曲は、バート・バカラック(Burt Bacharach)とハル・デヴィッド(Hal David)による“ (There’s) always something there to remind me”の訳版であり、それはイギリス人歌手サンディ・ショウ(Sandie Shaw)をUKチャートのトップへと導いた曲である。
2枚目のシングルEPである印象的な曲“ Ve con él ”(B面にはファンのお気に入りの“Me gusta la gente”収録)と、合計4枚Zafiroレコード会社からリリースされたEPのうちの1枚も、このころ発売された。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Recordar / Nos tos brazos (EP) 1965
“Recordar”でその年、彼女はパルマ(Palma)のソングフェスティバルを勝ち取り、大きな成功を手に入れた。
この曲はシングルとしてリリースされ、B面にはフランスのスター、シルヴィ・ヴァルタン(Silvie Vartan) の“Dans tes bras (je veux l’oublier)”のカバー“ En tus brazos quiero olvidar”を収録。
アドリアンヘラ(Adriángela) – El Mundo / Nunca Hay Bastante (EP) 1965
次の曲として選ばれたのは、イタリア曲のカバー⑪“El mundo”であるが、またしてもB面の“Nunca hay bastante”がより人気となった。
アドリアンヘラは人気があったが、イエイエガールとしては彼女のボーカルスタイルは少しクラシカルすぎたかもしれない。
1965年にさらに2枚の45レコード“Siempre hay un mañana”と“La mitad de la mitad”を発売した。この2曲は彼女の声に合っていたが、これらを発売したことで、彼女は真にイエイエガールではないと決定づけてしまったかもしれない。
アドリアンヘラ(Adriángela) – He Visto un Hombre Pasar / Todo es Posible (EP) 1966
1966(昭和41)年始めに“He visto un hombre pasar”を発売した後、彼女はスペインのグループ、ロスブリンコス(Los Brincos)とチームを組む。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Porque nunca se cuntó / La mio vida esta fecha d’amor (EP) 1966
彼らが彼女のために書いた曲“Porque nunca se contó”レコーディングのためだ。多くのファンにとってこの曲は、彼女のキャリアの中でのハイライトではあるが、期待していたほど売り上げは伸びなかった。
12歳のアリシア・グラナドス(Alicia Granados)が優勝した、その年のベニドルムのソングフェスティバルでも、彼女に運はなかった。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Un Hombre Y Una Mujer / Dr. Zhivago (EP) 1967
レーベルは、彼女には新しい方向性が必要だと判断した。このことは、フランシス・レイ(Francis Lai)作曲、映画ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago) テーマ曲“Un homme et une femme”のカバーである“hombre y una muyer”が1967(昭和42)年にシングルとしてリリースされたことからも分かる。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Tan Lejos / Para Qué (EP) 1967
アドリアンヘラ(Adriángela) – Marea Baja / San Francisco (EP) 1968
アドリアンヘラ(Adriángela) – Gigante / El Que Este Libre (EP) 1968
“Tan lejos”“ Marea baja”“ Gigante”の3曲が次の2年のうちに発売された後、サファイヤは彼女との契約を打ち切った。
彼女はシントニア(Sintonía)レーベルにたどり着く。そのレーベルは、新しい曲へのプロモーションから手を引きたがっていた。
1969(昭和44)年のユーロビジョン・ソング・フェスティバルには多くの関心が集まっていた。その前年にマッシール(Massiel)が優勝したことに続き、マドリッドで開催することになっていたからだ。シントニアは、パルマのコンテスト優勝者が、ユーロビジョン出場者を選ぶスペイン決勝に参加する権利があると知っていたのだ。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Buenos Dias / Cuidado (EP) 1969
そのためレーベルは彼女に“Buenos días”を歌うことを勧め、そして彼女はパルマに優勝し、もちろんその曲をスペイン決勝でも歌った。しかし彼女はサロメ(Salomé)に敗れ、サロメはユーロビジョンで3人の歌手たち、イギリスのルル(Lulu)、フランスのフリーダ・ボカーラ(Frida Boccara )、オランダのレニー・クー(Lennie Kuhr)と優勝を分け合った。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Mira Que Llega La Mañana / Se Acaba El Mundo (EP) 1969
その後、1970(昭和45)年1枚のシングル“Mira que llega la mañana”を最後に、アドリアンヘラはシントニアを去った。
アドリアンヘラ(Adriángela) – Camino Del Amor / Te Mentirán También (EP) 1971
彼女は1971(昭和46)年にフィディアス(Fidias)レーベルに参加するが、成功したとは言えず、すぐに辞めることになる。
レコード契約を結ぶことなく、彼女はトレモリノス(Torremolinos)へ移り、ピアノバーを始めた。バーでのパフォーマンスを続けたものの、あえてメディアからは遠ざかった。彼女の昔のレコードに、再注目が集まってはいたのだが。
参照元:Ready Steady Girls
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